命があれば甘くなれる。  3-22-20

 

集まることによって新型コロナウイルスはそこで大きく広がる。だから、集まってはいけない。感染が劇的に増えるのを押さえるのはこれしかない。

 外出を控えなさい。レストランもテイクアウトだけというような指示もだされるようになりました。買い物に行くと、トイレットペーパーはまだない、いろいろな食べ物の棚も空っぽ、

 そして家に帰れば、コロナウイルスのニュースばかりで、今日は何人の方が亡くなったとか、気が滅入るばかり。孤立化しています。

 

教会で皆が集まれなくても祈りをしっかりして、聖書を読んで養われればいいと思っても、

集まらないと、やはり意欲が薄れていきます。不安は広がっていきます。何より心に落ち着きが亡くなり、疲労感が高まります。ちょっとのどが痛くなると、危ないのではないかと思ったりします。

 でも、神様は孤立するなと教えられています。

 

だから、ヘブライ人への手紙1023-25で書かれています。

 10:23 約束してくださった方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白し続けようではありませんか。

 10:24 また、愛と善行を促すために、互いに注意を払おうではありませんか。

 10:25 ある人たちの習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう。その日が近づいていることが分かっているのですから、ますます励もうではありませんか。

 

  集まるのをやめないで、神様の礼拝を続けなさいと言われています。

 なぜか。それは私たちは一つの体だからです。そしてその体は

 神様を礼拝することによって命が維持され、新しくされるからです。

 私たちは一つの体ですから、それぞれが意思疎通をしないと、バラバラになってしまいます。

 そしてせっかくイエスキリストをかしらとするこの永遠の体をうけもっているのに、生き生きとした血をいただけなくなってしまいます。

  心を不安で満たし、そして私たちの魂をキリストから離そうとしているのです。

 

でも命を与えてくださる神様を忘れてはいけません。いかに教会が貴重なものであるか。

 いかに礼拝が大切であるかを覚えたいと思います。

  

1、 命の木が与えられる。

 

それでは、本日の聖書個所を見ていきましょう。イスラエルの民は、エジプトでの奴隷状態から解放されて、エジプト軍の追撃も、海の中に道ができる、そして道が閉じるという奇跡的な出来事を通じて、助けられました。そのあと3日間水がない状態で歩き続けたのです。

 

「何を飲んだらいいのか」と、不平が聞こえてきます。人々は不安からくる声をモーセにぶつけたのです。

私たちも今、どうしたらいいのか、という不安に押しつぶされそうです

 神様はそんな彼らに一本の木を示されます。

神は憐みに富んだお方です。木を指し示されたのです。

木は創世記の中で、命の木などとして出てくることを思い出してください。そう、あんたは園にあるどの木から食べてもいい、、、というあれです。

 命が与えられる木なのです。

 

「示された」ということばはヘブル語で、ヤーラー

投げるという意味もあります。そのほかに、この言葉は教えるという意味もあります。この言葉からトーラー(律法)という言葉が出てくるのです。

つまりここから推測されるのは、命の木が投げ込まれた、あるいは命の木を教えられたというです。

 

モーセが、何のことだか分らんと思いつつも、言われたとおりにすると、苦くて苦くて飲めなかった水が、甘くなったのです。おいしい水になったのです。

みなさん、苦い水の味、そしておいしい水の味を思い浮かべてみてください。そして水というものが何を意味するかを考えてみましょう。

命に関する神の教えが苦い水に入ると、その水が甘くなる。

苦い水というのは、そう、私たちです。

 

苦みに満ちてしまいがちな私たちも命の木が入ってくると、甘くなるのです。

 神の教えを受け取って生きるなら、甘く変えられるのです。

まだまだ私たちの水は苦いかもしれません。でもどんどん神様の木を投げ入れていただきましょう。神様の命を、教えを受け取って参りましょう。

苦い私たちの水が少しづつ甘くなっていくはずです。

濁っている私たちの水が少しづつ透明になっていくはずです

 

 

 2、 甘くなった水に神様は言われたのです。

主はそこで彼に掟と定めを授け、そこで彼を試み、そして言われた

 

  甘く変えられた私たちに掟と戒めが与えられる、教えられるのです。苦いままの私達であれば、掟を聞いても、そんなもの、聞いてられるかと突っぱねてしまうでしょう。私たちの心が甘く変えられて、愛情を持てるようになって初めて、掟が生きてくるのです。

 

愛されて初めて、私たちは従順になれるのではないでしょうか。神様に受けkれられていることがわかって、私たちの心は平安になり、示されたことを喜んで行っていく事ができるよう野ではないでしょうか。

 

 

3、    神様が次に言われたことは。教えに従うなら、心配はいらない。神は癒すものだ。

 

「もし、あなたの神、【主】の御声にあなたが確かに聞き従い、主の目にかなうことを行い、また、その命令に耳を傾け、その掟をことごとく守るなら、わたしがエジプトで下したような病気は何一つあなたの上に下さない。わたしは【主】、あなたを癒やす者だからである。」

 

この言葉はイスラエルの民に言われた言葉です。しかし神の民に言われた言葉として受け取ることができます。

 

神様の声を確かに聴いて、従い、主の目にかなう事を行うなら、病気は下されないというのです。

 

なんと確かな言葉でしょうか。

私たちが、神様を愛し、その愛の中で神様に寄り添っていくなら、病は下されないというのです。

そうです。神様は何より、癒す方なのです。

イエス様のミニストリーのことを先週話しました。イエスのミニストリーは基本的に、癒しのミニストリーだったのです。

決して、裁きではなかったのです。

 

 

イエス様の与える水

 

実際イエスは水を与えてくださると言われました。

 

しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」ヨハネの414

 

これは私たちの心の奥底に住んでくださる御霊のことだと書かれています。

神様が私たちの内に住んでくださって、常に私たちを潤し、満たしてくださるのです。

 

 

私たちは何を飲んだらよいのか

クリスチャンの中にも、不安な時、ストレスの大きい時たくさん食べてしまう人は多いと思います。ドーナッツとかキャンディーはおいしいのですが、栄養がありません。

 

イエス様の下さる命をいただきましょう。大きく口を開けて、神様のみことばをいただきましょう。私たちは、きよめられ、変えられ、満たされるのです。

 

荒野において、イエス様の言葉をいただいていく中で、私たちの苦い水たまりは少しづつきよめられていくのです。

 

神様はそういう目的で私たちを荒野に導いておられるのです

 

 

4、 旅をつづけたイスラエルの民は、エリムという場所につきました。なんとそこには12の水の泉と70本のなつめやしの木があったのです。オアシスです。

イスラエルの民はいかに喜んだことでしょう。

12部族に合せて12の泉です。

私たちに合せて、神は備えてくださるのです。

そして70本のナツメヤシの木。

70は完全数7をさらに十倍にした数。完全に完全な量が与えられという事です。

そして極め付きはナツメヤシの木です。ナツメヤシは昔棕櫚といわれていました。

でも棕櫚とは違うんです。英語でいうとdates,Dates palmという木で、中東で何千年も育てられている木です。

 

高さ15メートルを超えるのですが、たくさん実がなります。そしてビタミン、ミネラル、繊維質があって、乾燥フルーツの中でもantioxidantが最も多い果物の一つで、糖尿病、病気にかかりにくくしてくれます。老化防止、骨の密度を保つ、頭脳を明晰にする、血圧を保つ、これは今も健康にとてもいいとして今でも売られています。

 

このフルーツ。健康にいい、命にいいのです。だからか、この木は命の木として知られている木なんです。

 

そして甘いんです。でも血糖値をスパイクさせないのです。 

4/5/20 教会の暦の中にPalm Sundayというのがありますが、この日、ナツメヤシの木の枝を振って祝います。これも命の木という事からきているのです。命を与える神様が来られることを祝うから、ナツメヤシ振ったりするのです。死に打ち勝つ命です!

しかも甘い命!このナツメヤシの木は、最終的なすべてが満たされる天国の象徴です。

 

神様はイスラエルの民に、教訓としてこのような旅をさせたのです。

 

不足の続く道のりを3日歩く。人々の心がだんだん荒々しく苦々しくなってく。不安になっていく。そんなとき、神に叫ぶことによって、命の木が示され、そして命が教われら、人々は甘くされる。

 

そして最終的には、完璧な命の木が豊かにあふれる楽園にたどり着くのだと。 

 

神様はご計画を持っていらっしゃいます、そして必要なものを備えてくださいます。

神様を信じ、神様とのつながりをさらに強めて毎日を過ごしましょう。

この機会は、私たちの神様とのつながりを改めて見直して、強固なものにしていく試練の時です。

 

神様を疑ったり、誰かに不平を述べたりするのではなく、神様の導きを求めてまいりましょう。

 

 

最初のヘブライの言葉に戻りましょう。

 

10:23 約束してくださった方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白し続けようではありませんか。

 

10:24 また、愛と善行を促すために、互いに注意を払おうではありませんか。

 

10:25 ある人たちの習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう。その日が近づいていることが分かっているのですから、ますます励もうではありませんか。 

·         今は私たちの生活、態度を見直すチャンスです。

·         神様がイスラエルの民にされてきたことを思い出し、私たちの生活を見直しましょう。そして私たちにできる事に励みましょう。

 

 

  • 頻繁に周りの人に連絡を取ってチェックする
  • 不安などで落ち込む人に希望の言葉をかけましょう。
  • 買い物にいったときに、そこで働く人に、大丈夫か、祈りますと声をかけましょう。
  • 子供たちのケア

祈りましょう。