レントも最終週になりました。受難週と言われる週です。

 

 

4/6 Day 35

John 14:6

 

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。

 

 

グローサリーストアで、必要なものがどこにあるか困ったことはありませんか。普通は店員さんに聞いたら、どこの通路にあるよと言われます。でもある時その店員さんは、こちらです、と自らその商品があるところまで連れて行ってくれたのです!イエス様は道であられます。

 

4/7 Day 36

1 John 4:18

 

 愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。恐れには罰が伴い、恐れる者は、愛において全きものとなっていないのです。

 

 

4/8 Day 37

1 Tim 2:5-6

 

神は唯一です。神と人との間の仲介者も唯一であり、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自分を与えてくださいました。これは、定められた時になされた証しです。

 

 

4/9 Day 38

John 18:1

これらのことを話してから、イエスは弟子たちとともに、キデロンの谷の向こうに出て行かれた。そこには園があり、イエスと弟子たちは中に入られた。

 >この園がゲッセマネの園です。ここで、イエスは祈られました。「できるならばこの杯を取り除いてください」と。この杯はどのように見えたでしょう。人間一人一人のきたなさ、罪が見えたのです。でもそれに優るイエスの愛は、イエスを先へ進ませるのです。

 

4/10 Day 39

Luke 23:46

 イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。

 

 

4/11 Day 40

Gal 2:20

もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。

 

レントも、5週目、もう少し!、最終コーナーを回ったところです。

 

 

3/30 Day 29

1John 1:3  

 

私たちが見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えます。あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わ

りです。

 

 

3/31 Day 30

1John 2:15  

 

あなたは世も世にあるものも、愛してはいけません。もしだれかが世を愛しているなら、その人のうちに御父の愛はありません。

 

 

4/1 Day 31

Col 4:3

 

 同時に、私たちのためにも祈ってください。神がみことばのために門を開いてくださって、私たちがキリストの奥義を語れるように祈ってください。この奥義のために、私は牢につながれています。

 

 

4/2 Day 32

Mat 22:39

 

 『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。

 

 

4/3 Day 33

Phili 3:12

 

私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして追求しているのです。そして、それを得るようにと、キリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。

 

 

4/4 Day 34

1 Pet 3:15 むしろ、心の中でキリストを主とし、聖なる方としなさい。あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでも、いつでも弁明できる用意をしていなさい。

 

 レントも4週目。もう少し。

 

 3/23 Day 23 John 16:13

 しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。御霊は自分から語るのではなく、聞いたことをすべて語り、これから起こることをあなたがたに伝えてくださいます。

 >>>伝えてもらったことに対してどう対応するか、が問われています。

 

3/24 Day 24 John 14:13

またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは、何でもそれをしてあげます。父が子によって栄光をお受けになるためです。

 

 

3/25 Day 25 Nehemiah 1:6

どうか、あなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを聞いてください。私は今、あなたのしもべイスラエルの子らのために、昼も夜も御前に祈り、私たちがあなたに対して犯した、イスラエルの子らの罪を告白しています。まことに、私も私の父の家も罪を犯しました。

>>>昼も夜も祈る生活態度、罪を告白する謙虚な姿勢。祈らなければ何も変わりません。でも祈れば神様は答えてくださいます。

 

 

3/26 Day 26 Luke 10:40

 ところが、マルタはいろいろなもてなしのために心が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃってください。」

 

 

3/27 Day 27 2 Corinthian s 3:17

Ⅰコリ 3:17 もし、だれかが神の宮を壊すなら、神がその人を滅ぼされます。神の宮は聖なるものだからです。あなたがたは、その宮です。

 

  

3/28 Day 28 Romans 12:12

望みを抱いて喜び、苦難に耐え、ひたすら祈りなさい。

 

レント3週目 

3/16 Day 17 Mat 17:23

人の子は彼らに殺されるが、三日目によみがえります。」すると彼らはたいへん悲しんだ。

 

 

3/17 Day 18 Jeremiah 29:11

わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──【主】のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

 

 

3/18 Day 19 Luke 12:25

あなたがたのうちだれが、心配したからといって、少しでも自分のいのちを延ばすことができるでしょうか。

 

 

3/19 Day 20 Psalm 127:2

あなたがたが早く起き遅く休み労苦の糧を食べたとしてもそれはむなしい。実に主は愛する者に眠りを与えてくださる。

 

 

3/20 Day 21 Psalm 62:1  

私のたましいは黙ってただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。

 

3/21 Day 22 Psalm 139:7

私はどこへ行けるでしょう。あなたの御霊から離れて。どこへ逃れられるでしょう。あなたの御前を離れて。

 

3/9 Day 11 Mathew 5:6

義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。

 

3/10 Day 12  Psalm 42:1-2 

鹿が谷川の流れを慕いあえぐように神よ私のたましいはあなたを慕いあえぎます。
42:2 私のたましいは神を生ける神を求めて渇いています。いつになれば私は行って神の御前に出られるのでしょうか。

 

 

 

3/11 Day 13 Ecclesiastes 9:10

何によらず手をつけたことは熱心にするがよい。いつかは行かなければならないあの陰府には/仕事も企ても、知恵も知識も、もうない(新共同訳)

 

 

 

3/12 Day 14 Psalm 143:6 

あなたに向かって私は手を伸べ広げ、私のたましいは乾ききった地のようにあなたを慕います。セラ

 

 

3/13 Day 15 Psalm 137:4 4

どうして私たちが異国の地で【主】の歌を歌えるだろうか。

(イスラエルの民はバビロンで神を讃える歌を歌えませんでした。神様は私たちの気持ちをわかってくださいます。)

 

 

3/14 Day 16 John :7:37 

さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。

 

 

 

3/2 Day 5 Lamentation 3:22-23a

「私は待ち望む。【主】の恵みを。実に、私たちは滅び失せなかった。主のあわれみが尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。

 

 

3/3 Day 6 Judges 16:22  

しかし、サムソンの髪の毛は、剃り落とされてからまた伸び始めた。

(時間はかかるが、神は赦してくださるのです。)

 

 

3/4 Day 7 Isaiah 1:18 

「さあ、来たれ。論じ合おう。──【主】は言われる──たとえ、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとえ、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。

 

 

3/5 Day 8 2 Corinthians 10:4 

私たちの戦いの武器は肉のものではなく、神のために要塞を打ち倒す力があるものです。

 

 

3/6 Day 9 Isaiah 49:8 

【主】はこう言われる。「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日に、わたしはあなたを助ける。わたしはあなたを見守り、あなたを民の契約とし、国を復興して、荒れ果てたゆずりの地を受け継がせる。

 

 

3/7 Day 10 119:93

私は決してあなたの戒めを忘れません。それによってあなたが私を生かしてくださったからです。